こんにちは。樋口製材のWEB担当です。
先日、NHKの染めものがたりという番組を見ていて、平安時代に行われていた日本茜や貝紫による染めについて知りました。
日本茜・・・本州以西の山野に自生するアカネ科の多年草。アカネの根で染めると、黄味を帯びた赤色になる。あかね色の語源。
貝紫・・・貝の内臓からとる染料。酸素に触れると一気に紫に変わる。それまでは黄色い色をしている。紫式部も好んだとか
吉野ケ里遺跡から出土した絹織物には、日本茜や貝紫の成分が検出されたため、弥生時代にはすでにこの2つの染めがあったことがわかっています。
ところが、どちらの染めもその後途絶えてしまいます。茜の染めは室町時代に一度途絶え、江戸時代に復活します。貝紫の染めも具体的な時代名は不明ですが、途絶え、今も途絶えたままです。貝紫に至っては染め方の記録さえ残っていないとか。途絶えたのは、この2つの染めがあまりに手間のかかり、時間と職人の感覚が求められたから?
古代の技のレベルが高かったのは、「手間をじっくりかけれたこと」と「材料がよかった」から⁉
平安時代末期の武士の鎧(赤糸威鎧、武蔵御嶽神社所蔵)にあしらわれた茜糸は800年経った今もなお色鮮やかで、明治時代に修復された赤い糸の方が先に褪色しているそうです。
【国宝】赤絲威鎧<兜、大袖付>(平安時代末期)
http://musashimitakejinja.jp/homotsu_multilingual/ja/akaito_ja.html
少なくとも、日本茜や貝紫の染めは弥生時代、奈良時代、平安時代に行われていたことが分かっていますが、当時は、染料の栽培方法や染めの火加減、色をとめる手加減が考え抜かれていたんでしょうね。『どうすれば鮮やかな色に染まるか、それが長持ちするか』に職人たちの時間が向けられ、その感覚が文字ではなく手に刻まれていたのでしょうね。次の手がなければ流れる水のように技は途絶えてしまいます。
ちょうどその時代と言えば、法隆寺の五重塔が建てられた時代でもあります(奈良時代)。世界文化遺産でもある法隆寺、五重塔は1300年以上たった今も建ち続けている世界最古の木造建築です。
染めと同じで、木を使う職人たちもまた、素材の特性を細かく知り尽くしていて、挽き、刻み、継ぎなどの作業が『どうすれば立派になるか?建物が長くもつか?』に向けられ、そこには職人の研ぎ澄まされた感覚や感性があったわけですが、材料が良かったということもあるでしょう。
木挽き、製材について言えば、挽く作業の『効率性』は今の方が格段に上です。でも、今はもう太い材はありません。今は大径木という言葉がありますが、当時はその定義よりももっともっと太い巨木が多くあったと考えられます。実際、京都のお寺の材も当時富士山麓の大きなヒノキや杉を船で運んで使うことが多かったようです。材料が技のレベルを律速したのです。
じっくり技を磨いて時間をかけていいものを作る環境は、『材料』が提供するのかもしれませんね。
『いまはせせっこましい。昔みたいに、時間をかければ、かなりのものがうまくできるよ』
社長の何気ないひとことが妙に腑に落ちました。
written by ヒノキブンコ