2024.1.20 インタビューの様子を動画でまとめました。
イトウタカシさん
木工作家。イトウタカシ木工房 代表。
椅子、テーブルのデザイン・製作、お店や住宅の内装デザイン・製作を行う。
工業デザインやオブジェ、クラフト作品の製作も行い、日本クラフト展、朝日現代クラフト展などの入選歴多数。
独立し、東京都国立市に工房を始める
6年前、東京国立から山梨に拠点を移したイトウタカシさん。建築士の奥様(伊藤有吉子さん、レインファーム一級建築士事務所を経営)にも同席していただき、家具の製作や山梨での暮らしぶりについてお聞きしました。
目次
樋口製材とのきっかけはクリ材
イトウタカシさんが樋口製材を知ったきっかけは15年ほど前。当時は東京の国立市に工房を構えていました。
化学物質過敏症のお客様から「薬剤も化学ボンドも一切使わないベンチを作ってほしい」と依頼され、ボンドなし、クリ材で金物で羽交い締めにするようなテーブルを作ることになったのがきっかけ。
イトウタカシさん:「じゃあ、クリをどこで仕入れるんだって話になって。彼女(奥様)がいろいろ検索してくれたら、なんか面白いそうな人が山梨にいるんだよねって見つけてくれて・・・それが樋口さんでした。とにかく会いに行ってみようと思って電話したら『そんな遠くから来るの?』って社長が言ってくれて。会いに行ったら、今とおんなじ感じで気さくでね。クリをたくさん挽いてもらって。当時、ハイエースだったから、ぎりぎりまで積んでね・・・やさしい人だな、って印象でしたね」
その後、東京から山梨県南アルプス市に工房を移転
もともと工房を構えていた東京都国立市から山梨県南アルプス市に移転したのは2016年のこと。
とくに山梨と決めていたわけではなかったのに、15年前(2007年頃)にクリ材を求めて立ち寄った製材所のすぐ近くに、その9年後(2016年)に工房を構えることになったということで、縁というのはつくづく不思議。
また、山梨に移住する3年ほど前(2013年頃)、たまたま北杜市の知り合いの家を訪れた際にワニ塚(韮崎市の桜の名所)を見に来て、その東京への帰り道に樋口製材を偶然通りがかったそう。そのときに、少し気持ちの変化があったといいます。
『こういうところで仕事する手もあるんだな、って』
イトウタカシさん:「山梨に移住する3年ほど前ですが、やっぱりそのときもたまたま樋口製材を通りかかって、懐かしくなって、こういうところで仕事する手もあるんだな、って思っちゃったんですよね、一瞬。
もちろん、その後も国立に工房を構えたままだったんですが、そしたら借りていた工房が使えなくなるということで、もう少し広いところはないかと探しているうちに、とくに決めていたわけではないですが、山梨に来ることになりました。
埼玉とか山梨でも別の方の物件も見ててね。そうして物件探しをするうち、もともと大工さんの家で工房があるこの家を見つけて、僕も彼女も初めからすごく気に入ったんですよ。見晴らしもいいし、でも、決め手は住所でした」
(住所ですか?)
伊藤有吉子さん:「番地の語呂がよかったんですよ。有野2549で『アリの日光浴』って読めちゃったんですよ(笑)。わたしたち二人とも転勤族の子どもで、2、3年ごとに引っ越しだったから、小さい時から一箇所にいたことがないんですよ。だから引っ越すたんびに住所とか電話番号を覚えないといけなくて。わたしは語呂で覚えないといけないタイプで。これ、なんかいい語呂出てきそうだなって思って、そしたら、アリがね、、アリが日光浴してる絵が浮かんじゃって(笑)」
イトウタカシさん:「働き者のアリがね、なんか怠けているっていいよね」
素敵なご夫婦・・・
この家は南アルプス市にあったわけですが、御勅使川沿い。『あれ、ここって樋口製材のすぐそばじゃない?』とあとから気がついたそうです。
イトウタカシさん:「移住後、何年かぶりに樋口製材に行って、『実は、何年か前に買いに来たんですよ』と言ったら、社長『知らねえなぁ』って。『いや、覚えてなかったらいいんですよ』って(笑)。こっちは勝手に近しく感じてるっていう(笑)」
製作について
仕事場を求め、たどり着いた場所で、お客さんの要望に向き合うイトウタカシさん。家具づくりについてお聞きしました。
—— 家具の材、樹種はお客さんの希望で決まるのですか?
イトウタカシさん:「どっちもですね。道産材のカバ、ニレを勧めたりもします。とてもいい材なので。でも、お客さんはやっぱりどうしてもメープルやいま流行ってるタモがいいわ、とかありますね。どの材を使うか、そういう話をはじめにちゃんとすることが第一のベース、隠さないでね」
—— 製作でどんなことを大切にされてますか?
イトウタカシさん:「木っていう、もともと均一でないものをどうしていくか、でね。最近はクリの材を使うようにしていて、このタイルは樋口製材から買ってつくったものです。使える部分は椅子とかテーブルにしますが、腐れが入ってる使えない部分はこういうタイルにしてみました。クリってタンニンっていう渋の成分が多くて、鉄で染色させたの。黒を塗ったんじゃなくてね。そういう技は昔からあって。これは、酸性で反応させた場合ね。アルカリで反応させると濃いブラウンになるんですよ。基本的に3色?プレーンと鉄染めと灰染めね。この色がなかなかプリミティブ(原始的)でね。
もともと縄文土器が子どもの時から好きだったので、そういうイメージがこのクリにあってね」
材の使えない部分がアイディア次第、加工次第でこんな素敵な壁になるとは・・・
家具に向き合うことは木に向き合うこと。加工の技術だけでなく、昔の技や木の特性のことを、イトウタカシさんは熟知しているということですね。
こんなエピソードも教えてくれました。
イトウタカシさんは、土偶が立体化する前の板状土偶でネックレスを作って、釈迦堂遺跡博物館の学芸員さんに見せたら、それを気に入ってくれて、販売に至ったそう。下のツイッターは、釈迦堂遺跡から出土した縄文前期土偶の通称レンコ様を実物大で作った木製ネックレス。さらに、それを見た南アルプスの伝承館の学芸員さんからも依頼があり、別に作っているそうです。
商品紹介第2弾は、レンコ様ネックレスです。釈迦堂遺跡から出土した前期土偶の通称レンコ様が木製のネックレスになっています。こちらは南アルプス市のイトウタカシ木工房さんが作ってくれています。本体の色は3色あり、革紐も選べます。#縄文 #釈迦堂遺跡博物館 #釈迦堂 pic.twitter.com/1f6zgYp4mO
— 釈迦堂遺跡博物館 (@ShakadoJomon) June 30, 2020
釈迦堂遺跡からは大量の土偶が発掘されていますが、当時は作っては壊されていたとか。大きさや精巧さもさまざまで、土偶を作った目的にはまだ不明な部分も多いそうです。でも、その根底にあるのは『ものづくり』の心だったのでしょうか。
数千年後、その形に惹かれているイトウタカシさん。時を経ても伝わる気持ち、沸き起こる共感。時間ってあまり関係ないんですね。
イトウタカシさんの、こんな何気ない言葉が印象的でした。
「当時プロはいなかったですよね、すごいうまい人はいても。ぜったい遊びでやってて。でもいいよねっていう感じはあったはずで。それが自分の今の仕事のジレンマになんだかつながるんだよね。プロってなんなんだろって」
丸鋸製材された板をキッチンカウンターに
こちらもご自身で制作されたカウンター。『帯鋸の痕ですか?』と聞くと、『これは丸鋸なんです』と教えてくれました。丸鋸は帯鋸が広がる前の製材方法ということで、『丸鋸の製材痕は最近は珍しい』。たしかに削り痕は直線ではなく曲線。ゆえに有機的な雰囲気が漂います。知り合いから譲ってもらったものを長年取って置いて、リフォームの際に活用したとのこと。
家づくりに関わる
イトウタカシさんは家具のデザインや造作を通して家づくりにも関わります。奥様が建築士ということもあり、家づくりを一緒に手伝うため、建築事情にも詳しい。そこに対する想いもお聞きできました。
イトウタカシさん:「施主さんが『困ったー』となるのは、施主さんが家づくりでほんとうに実現したかったことに向き合う機会を得られないまま家ができてしまったため。家は施主さんと設計と工務店が関わって作られるもので、施主さんがこの工務店に依頼したいとなってスタートしても、各業種が強みを持っているのに、お客さんがジレンマに陥ってしまう状況を聞くこともある。
建築士というのは、結局もっともっといろんなことをやる仕事みたいでね。何をつくりたいのか、施主さんもわかっていない、あなたはこういう生活を望んでいると言ってるけど、実はこういう生活じゃないですか?ってところまでもっていくのが建築士。施主さんは「そうかも!」となって、自分自身や家族のことを知っていく過程でもあるのね。
もちろん、この大工さんに惚れ込んだ、この大工さんに任せたいというケースもあるから面白い。その大工さんの手から生まれるデザインに憧れて、現実的な法律的な部分、たとえば建築基準とか耐震強度とか断熱仕様とかそういうのを建築士が行う、建築士はサポートに回るケースもあります。それもいい家ができる。当然、どっちが仕事を持ってきたかっていうのもありますし。
まあ、僕は端(はた)で見てるだけだから、好き勝手言ってるけど」
建築士でないけど建築士のことを熱く語る姿に、奥様のお仕事への厚い信頼を見るようでした。
自宅兼ギャラリーにはイトウタカシさんが製作された椅子やテーブル、アクセサリー、彫刻が展示販売されています。その様子はまた次回ご紹介します。
建築士である伊藤有吉子さんのお話もいずれご紹介できればと思います♪
文 小田和賢一